マラソンの由来とは?42.195kmの理由や日本の歴史もやさしく解説

マラソンの由来とは?42.195kmの理由や日本の歴史もやさしく解説
マラソンの由来とは?42.195kmの理由や日本の歴史もやさしく解説
【スタートライン】マラソンへの第一歩

テレビ中継や街中の大会で、私たちが目にする機会の多い「マラソン」。ランナーたちが懸命にゴールを目指す姿は、多くの感動を与えてくれます。しかし、なぜ「マラソン」という名前がついたのか、そしてなぜ「42.195km」という中途半端な距離を走るのか、その詳しい理由を知っていますか?

実は、マラソンのルーツを辿ると、古代ギリシャの戦争における「命がけの伝令」や、近代オリンピックでの「王室の要望」など、意外でドラマチックな歴史が隠されています。また、日本におけるマラソンの発祥にも、知られざる面白いエピソードがたくさんあるのです。

この記事では、マラソンという競技がどのようにして生まれたのか、その由来や歴史をわかりやすく解説します。距離の謎や、日本のマラソン史、そして明日誰かに話したくなるようなトリビアまで、詳しくご紹介していきましょう。これらの知識を持っていれば、マラソン観戦がもっと味わい深いものになるはずです。

マラソンの由来は古代ギリシャの「マラトンの戦い」

マラソンという競技の起源は、今から2500年以上も前の古代ギリシャにさかのぼります。スポーツとしてのマラソンが誕生するきっかけとなったのは、実は「戦争」でした。ここでは、その劇的な歴史の幕開けと、伝説の兵士について詳しく見ていきましょう。

紀元前490年に起きたペルシャ戦争の激戦

マラソンのルーツとなった出来事は、紀元前490年に起こった「マラトンの戦い」です。当時、絶大な力を誇っていたアケメネス朝ペルシャ帝国が、ギリシャへの侵攻を開始しました。ペルシャ軍は大軍を率いて、アテネの北東にある「マラトン」という海岸に上陸したのです。

迎え撃つアテネ軍の名将ミルティアデスは、兵力で劣るものの、巧みな戦術を駆使してペルシャ軍に立ち向かいました。アテネ軍は重装歩兵による密集陣形を組み、圧倒的な数のペルシャ軍を包囲するように攻撃を仕掛けます。激しい戦いの末、奇跡的にもアテネ軍はペルシャ軍を撃退し、祖国を守ることに成功しました。

この「マラトンの戦い」での勝利は、当時のアテネ市民にとって信じられないほどの喜びであり、国家の存亡に関わる極めて重要な出来事でした。もしここで敗れていれば、その後のギリシャ文明、ひいては西洋の歴史が大きく変わっていたかもしれないと言われるほどの一戦だったのです。

勝利を告げるために走った兵士フェイディピデスの伝説

マラトンでの勝利が決まった直後、アテネ軍の将軍は、この吉報を一刻も早くアテネの市民たちに伝えたいと考えました。そこで選ばれたのが、健脚で知られる伝令の兵士、フェイディピデス(フィリッピデスとも呼ばれます)でした。

伝説によると、フェイディピデスはマラトンの戦場からアテネまでの約40kmの道のりを、一度も休むことなく走り続けたと言われています。彼は武器や防具をつけたまま、険しい山道を越え、ひたすらにアテネを目指しました。勝利の喜びを待つ人々のもとへ、一秒でも早く辿り着くために、彼は限界を超えて走り続けたのです。

ついにアテネの城門に到着したフェイディピデスは、待ちわびていた市民たちに向かって「喜べ、我々は勝った!(ネンニケーカメン)」と高らかに叫びました。しかし、その直後、彼は極度の疲労によりその場に倒れ込み、そのまま息を引き取ってしまったと伝えられています。この命がけの伝令こそが、マラソンの起源として語り継がれている最も有名なエピソードです。

伝説から近代オリンピックの競技になるまで

時は流れ、19世紀末。フランスの教育者であるピエール・ド・クーベルタン男爵が、古代オリンピックの精神を現代に蘇らせようと「近代オリンピック」の開催を提唱しました。そして1896年、記念すべき第1回オリンピックが、ギリシャのアテネで開催されることになったのです。

この大会の開催にあたり、クーベルタン男爵の友人であった言語学者のミシェル・ブレアルは、ある提案をしました。「古代ギリシャの英雄フェイディピデスの故事を偲んで、マラトンからアテネまでを走る長距離走を行ってはどうか」というものです。このアイデアは、開催国であるギリシャの人々の愛国心を大いに刺激し、熱狂的な支持を受けました。

こうして、第1回アテネオリンピックの目玉種目として、長距離ロードレースが採用されることになりました。当時の距離は約40km。これが、スポーツとしての「マラソン」が世界で初めて公式に行われた瞬間です。単なる長距離走ではなく、歴史的な物語を背景に持つ特別な競技として、マラソンはオリンピックの舞台に登場したのでした。

マラトンという地名が競技名のルーツ

ここまでのお話で想像がついた方も多いと思いますが、「マラソン(Marathon)」という競技名は、戦いの舞台となった地名「マラトン(Marathon)」に由来しています。英語読みでは「マラソン」となりますが、現地ギリシャ語の発音では「マラトン」に近いです。

マラトンという地名は、もともと「ウイキョウ(フェンネル)」という植物がたくさん生えていた場所であることから名付けられたと言われています。古代の兵士たちが戦ったその平原の名前が、現代では世界中で愛されるスポーツの代名詞となっているのは、とても感慨深いことです。

第1回アテネ大会でのマラソン競技は、まさにこのマラトンの地をスタートし、アテネのパナシナイコ競技場を目指すコースで行われました。優勝したのは地元のギリシャ人、スピリドン・ルイス。彼の勝利はギリシャ国民を熱狂の渦に巻き込み、マラソンという競技をオリンピックの「華」として不動のものにしたのです。

距離が「42.195km」という中途半端な数字になった理由

マラソンといえば「42.195km」ですが、なぜ「42km」や「40km」といったキリの良い数字ではないのでしょうか。実は、最初からこの距離に決まっていたわけではありません。そこには、あるオリンピックでの「大人の事情」と、劇的なドラマが関係していました。

当初は距離が統一されておらず「約40km」だった

マラソンがオリンピックの正式種目となった1896年の第1回アテネ大会から、しばらくの間は、距離の厳密な統一ルールはありませんでした。基本的には「約40km」という目安で行われていたのです。

第1回アテネ大会は約40km、続く1900年のパリ大会では約40.26km、1904年のセントルイス大会では約40kmと、大会ごとにコースの事情に合わせて距離が設定されていました。当時は「マラトンからアテネまでの距離」を再現することが重要視されており、細かいメートル単位の規定までは求められていなかったのです。

ランナーたちも、現代のように1秒を削り出すようなペース配分よりも、とにかく長い距離を完走すること、そして順位を競うことに重きを置いていました。距離がまちまちだったこの時代は、マラソンという競技がまだ確立される過渡期だったと言えるでしょう。

1908年ロンドンオリンピックで起きた「距離延長」のドラマ

運命が変わったのは、1908年に開催された第4回ロンドンオリンピックです。この大会でも、当初はウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの約26マイル(約41.8km)のコースが予定されていました。

しかし、開催準備が進む中で、イギリス王室からある要望が出されます。「王女たちがスタートの様子をウィンザー城のバルコニーから見られるようにしてほしい」というリクエストがあったと言われています(※アレキサンドラ王妃の要望など、諸説あります)。

さらに、ゴール地点についても「競技場のロイヤルボックス(王室専用席)の真正面にするべきだ」という意見が出ました。この「スタート地点の変更」と「ゴール地点の調整」を行った結果、当初の予定よりも距離が延びることになってしまったのです。

イギリス王室の要望と「ドランドの悲劇」

王室の要望を取り入れた結果、確定した距離は「26マイル385ヤード」。これをメートル法に換算すると、なんと「42.195km」になります。これが、現在私たちが知るあの数字が生まれた瞬間でした。この時はまだ、この距離が将来の標準になるとは誰も思っていませんでした。

そして、このロンドン大会のマラソンでは、歴史に残る衝撃的な出来事が起こります。イタリアのドランド・ピエトリ選手がトップで競技場に入ってきたのですが、極度の疲労で方向感覚を失い、逆走したり何度も倒れたりしてしまったのです。

見かねた役員たちが彼に手を貸し、何とかゴールさせましたが、後に「係員の助けを借りた」として失格となってしまいました。これが有名な「ドランドの悲劇」です。もし距離が延長されず、当初の約40kmのままだったら、彼は倒れずに優勝できていたかもしれません。このドラマチックな結末が、42.195kmという距離を人々の記憶に強く刻み込むことになりました。

第8回パリオリンピックで正式に42.195kmが採用された背景

ロンドン大会の後も、1912年のストックホルム大会では約40.2km、1920年のアントワープ大会では約42.75kmと、距離はバラバラのままでした。しかし、競技としての公平性を保つためには、距離を統一する必要があるという声が高まってきました。

そこで、国際陸上競技連盟(現在のワールドアスレティックス)は、距離の統一を検討し始めます。その際、基準として選ばれたのが、あの劇的なドラマを生んだ1908年ロンドン大会の「42.195km」でした。ドランドの悲劇のインパクトや、詳細に計測された実績があったことが理由とされています。

こうして1924年の第8回パリオリンピックから、マラソンの距離は正式に42.195kmと定められました。王女の「見たい」という願いと、悲劇のランナーの記憶が、現代まで続くマラソンのルールを決定づけたのです。0.195kmという端数には、歴史の重みが詰まっています。

日本のマラソン発祥と歴史を深掘り

世界的な歴史を見てきましたが、ここからは日本国内に目を向けてみましょう。日本は世界でも有数の「マラソン大国」と言われますが、その歴史はいつ、どこから始まったのでしょうか。日本のマラソンの夜明けと、伝説的なランナーについて紹介します。

日本初のマラソン大会は神戸で開催された

日本で最初に「マラソン」という名前を使った大会が開かれたのは、1909年(明治42年)3月21日のことです。その舞台となったのは、兵庫県の神戸から大阪までの道のりでした。

「マラソン大競走」と銘打たれたこの大会は、神戸の湊川埋立地(現在の湊川公園付近)をスタートし、大阪の西成大橋(現在の淀川大橋付近)をゴールとする約32kmのコースで行われました。当時の新聞社が主催し、予選を勝ち抜いた20名の精鋭たちが出場しました。

沿道には多くの観衆が詰めかけ、初めて見る長距離走の競争に熱狂したと伝えられています。優勝したのは金子長之助選手で、タイムは2時間10分54秒でした。現在、神戸市役所の近くには「日本マラソン発祥の地」という記念碑が建てられており、日本のランニング文化の原点であることを今に伝えています。

「日本マラソンの父」金栗四三と54年ごしのゴール

日本のマラソン史を語る上で絶対に欠かせない人物が、NHK大河ドラマの主人公にもなった金栗四三(かなくり しそう)さんです。彼は1912年のストックホルムオリンピックに、日本人として初めて参加したマラソン選手です。

しかし、そのレースは過酷を極めました。猛暑の中でのレースとなり、金栗選手は途中で熱中症により意識を失い、コース沿いの農家で介抱されることになりました。目が覚めたときにはすでに競技は終わっており、彼は無念のまま帰国することになります。この時、公式記録には「棄権」ではなく「行方不明」として扱われていました。

それから55年の時を経た1967年、スウェーデンのオリンピック委員会から75歳になった金栗さんのもとへ招待状が届きます。「あなたはまだゴールしていません。戻ってきてゴールしてください」という粋な計らいでした。ストックホルムの競技場を走った彼は、ついにゴールテープを切りました。

その時の記録は「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」。これは世界で最も遅いマラソン記録として語り継がれています。「長い道のりでした。その間に孫が5人もできました」という彼のコメントは、多くの人々に感動を与えました。

1964年東京五輪から現代の市民ランナーブームへ

戦後の日本において、マラソン人気を決定づけたのは、1964年の東京オリンピックでした。この大会で円谷幸吉選手が銅メダルを獲得し、日の丸を背負って走る姿が日本中の涙を誘いました。続くメキシコ五輪での君原健二選手の銀メダルなど、男子マラソンは日本のお家芸として注目を集めるようになります。

さらに時代が進み、女子マラソンがオリンピック種目になると、高橋尚子さん(2000年シドニー五輪・金メダル)や野口みずきさん(2004年アテネ五輪・金メダル)といったヒロインが誕生。彼女たちの活躍は、見るスポーツだったマラソンを「自分も走ってみたい」という市民スポーツへと変える大きな原動力となりました。

2007年に始まった「東京マラソン」は、制限時間7時間という緩やかな設定で多くの市民ランナーに門戸を開き、空前のランニングブームを巻き起こしました。今では日本全国で毎週のように大会が開かれ、健康や楽しみのために走る人々で溢れています。

「マラソン」という言葉の意味と現代での広がり

「マラソン」という言葉は、本来の42.195kmを走る競技以外にも、さまざまな場面で使われるようになっています。ここでは、現代におけるマラソンの定義や、言葉の広がりについて解説します。

競技としてのマラソン定義と公認コースの条件

陸上競技のルールにおいて、正式に「マラソン」と呼ばれるのは、42.195kmの距離を公道を使って走るものを指します。国際的な大会や記録として認められるためには、コースの距離が厳密に計測されている必要があります。

公認コースの計測方法
距離の計測は、自転車を使って行われます。「カリブレーションコース」という正確な距離が分かっている場所で調整した自転車を使い、道路の端から30cm(または以前の基準ならそれ以上)離れた最短ラインを走って計測します。タイヤの回転数をもとに計算し、誤差が許されない非常に厳しい作業です。

また、スタート地点とゴール地点が離れすぎていたり、極端な下り坂が多かったりするコースで出た記録は、風や重力の影響を受けるため「参考記録」扱いになることがあります。ボストンマラソンなどがその例で、記録公認には地形的な条件も関わってくるのです。

ハーフ、ウルトラ、10kmなど多様な距離への展開

フルマラソン(42.195km)以外にも、さまざまな距離の「マラソン」が存在します。

主なロードレースの種類

ハーフマラソン:21.0975km。フルマラソンの半分の距離。
クォーターマラソン:約10.5km。フルマラソンの4分の1。
ウルトラマラソン:フルマラソンを超える距離。100kmや24時間走などが有名。
10km、5kmロードレース:初心者でも参加しやすい短い距離。

特にウルトラマラソンは、100kmという途方もない距離を走る過酷な競技ですが、「自分への挑戦」として多くの愛好者がいます。これらの大会も総称してマラソン大会と呼ばれることが多く、距離に関わらず「走る喜び」を共有する場となっています。

ビジネスやイベントで使われる「〇〇ソン」という造語

「マラソン」という言葉は、長時間続けることや、耐久力が必要なことの代名詞としても使われています。IT業界などでよく耳にする「ハッカソン(Hackathon)」は、「ハック(Hack)」と「マラソン(Marathon)」を組み合わせた造語です。エンジニアなどが集まり、短期間で集中的に開発を行うイベントを指します。

同様に、アイデアを出し合う「アイデアソン」や、編集作業を行う「エディタソン」など、さまざまな分野で「〇〇ソン」という言葉が生まれています。これは、マラソンが持つ「ゴールに向かって長時間努力し続ける」というイメージが、多くの人にとって共感しやすいものだからでしょう。

知っておきたいマラソンの豆知識とトリビア

最後に、マラソンに関するちょっと面白い豆知識をご紹介します。これを知っていると、マラソン中継を見るときや、ランナー仲間との会話がもっと弾むかもしれません。

第1回アテネ大会の優勝者は一般の羊飼いだった?

1896年の第1回アテネオリンピックで、初代マラソン王者となったスピリドン・ルイス。彼はエリートアスリートだったわけではありません。当時の彼は、普段は水売りや羊飼いの仕事をして暮らしていた、ごく普通の村の若者でした。

彼は軍隊時代に長距離走が得意だったことから予選に参加し、見事に代表の座を射止めました。そして本番では、専門的なトレーニングを受けた他国の選手たちを抑えて優勝してしまったのです。優勝後、彼は国民的英雄として称えられましたが、競技生活を続けることはなく、静かな生活に戻ったと言われています。まさにシンデレラストーリーですね。

昔のマラソンは「給水禁止」が常識だった時代がある

現在のマラソン大会では、こまめな水分補給が推奨されていますが、かつては「走っている最中に水を飲むと疲れる」「バテやすくなる」という非科学的な迷信が信じられていました。

昭和の時代や、さらに古いオリンピックでは、給水所がほとんど設置されていなかったり、監督から「水は飲むな!」と厳しく指導されたりしていました。脱水症状で倒れる選手も多く、今考えると非常に危険な環境で競技が行われていたのです。スポーツ科学が発達した現在では、適切な給水がいかにパフォーマンス維持に重要かが証明され、給水戦略も勝負の鍵となっています。

世界記録の進化と「2時間の壁」への挑戦

マラソンの世界記録は、時代とともに驚異的な進化を遂げています。かつては2時間30分を切ることすら夢と言われていましたが、現在では男子の世界記録は2時間0分台に突入しています。

2019年には、非公認レースではありますが、エリウド・キプチョゲ選手が人類史上初めて「フルマラソン2時間切り(サブ2)」を達成しました(記録は1時間59分40秒2)。公認記録での2時間切りも、もはや時間の問題と言われています。人間の限界は一体どこにあるのか、その挑戦は今も続いています。

まとめ:マラソンの由来と歴史を知って応援しよう

まとめ
まとめ

今回は、マラソンの由来や42.195kmの理由、そして日本の歴史について解説してきました。要点を振り返ってみましょう。

記事のポイントまとめ

・マラソンの起源は、古代ギリシャの「マラトンの戦い」で勝利を伝えた兵士の伝説。
・42.195kmという距離は、1908年ロンドン五輪での「王室の要望」による延長がきっかけ。
・日本では1909年に神戸で初の大会が開かれ、金栗四三ら先人たちが歴史を築いた。
・現代では競技だけでなく、市民ランナーの楽しみやビジネス用語としても広がっている。

「たまたま王女が見たかったから距離が延びた」というエピソードや、「日本人が54年かけてゴールした」という温かい話など、マラソンには記録の数字だけでは語れない人間ドラマがたくさん詰まっています。

次にマラソン中継を見るときや、あるいはご自身がランニングシューズの紐を結ぶとき、ぜひこの歴史ある42.195kmの物語を思い出してみてください。一歩一歩の重みが、少し違って感じられるかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました